さらばラバウルよ⑦ココポの戦跡

今回はココポで見られる戦跡をご紹介いたします。

ココポの由来

まず、ココポ、ですが、火山に囲まれた地形で山がちな地形の中、ラバウルがドイツ人によって干拓されて街が整備される前はおそらくここが唯一の平野部だったのでしょう。山が後に迫り、すぐ目の前は海、という長細いエリアで、関西在住の私はどうしても「山側」「浜側」と同じように山と海に囲まれた東西に細長い市街地が続く神戸の街を思い浮かべてしまうのですが、1800年代の後半にニューギニアを植民地化したドイツ人がまず本拠地を置いたのがここ、ココポでした。鉄血宰相ビスマルクの長男の名前、ヘルバートの名前を採り、「ヘルバートの高台」、というような意味のHerbertshohe と名付けています。1910年にラバウルに移るまでここがドイツの本拠地となりました。ちなみにラバウルはSimpson’s Hafen = シンプソンの港と名付けられました。Cortland Herbert Simpsonというドイツ海軍のキャプテンの名前で、この湾を発見したとされる艦長です。そうして、彼が乗っていた船がブランチ号、これがシンプソン湾を含む大きな湾であるブランチ湾の由来となっています。

ココポが宰相に忖度した名前で、ラバウルが発見した艦長、ということからも、当初はココポのほうが「格上」だったことが分かりますね。

ココポと神戸の絶対的な違いは港でしょう。神戸が天然の良港に恵まれていて早くから海運の拠点となったのに比べ、水深が浅く、大型船の出入りに適していなかったココポはやがてラバウルにその地位を奪われてゆきます。

そうして、発展するラバウルに比べて徐々に廃れていったのでしょうか。当時の姿を知ることはできませんが、ココポという名前そのものが、周囲よりも標高が低く、湿地でで水がたまりやすい低地、窪地、穴ぼこ、あるいは地盤の緩い場所、という意味があったそうです。いわば、田舎町、というような蔑んだような名前ですね。発展した街にこういった名前が付くことはないと思いますが、本当のところはどうなのでしょうか?(なお、ココポにはもう一つ、花、という意味もあるそうで、この街の語源が湿地なのか花なのか、正確な回答は出ていないようですが、私は個人的に湿地説を支持します)

そうして、皮肉なことに、1994年の大噴火で壊滅的な被害を受けたラバウルに代わって大きな発展を遂げたのが、かつては田舎町と名付けられたココポだったのですね。今は州都として政府機能、ホテル、商店などが立ち並ぶ都市に変貌していて、だれも「田舎町」とは呼びません。

陸軍の拠点として

太平洋戦争の開始直後の昭和17年1月にラバウルを占拠した日本軍は、ラバウルに海軍の南東方面艦隊司令部を、そしてココポに今村均大将を長とする第八方面軍司令部を置きました。以降、終戦までココポは日本陸軍の重要な拠点となりました。

ブナポペ教会

カトリック教会に第103兵站病院も置かれました。今でも残る、ブナポペ教会です。ちなみにブナポペとは現地のクアヌア語でブナ=場所、ポペ=Pope =ローマ法王、つまり、ローマ法王の場所、という意味だそうです。

陸上戦の無かったラバウルですが、爆撃やマラリアなどで多くの将兵が亡くなっており、この兵站病院でも多くの死者を看取ったことでしょう。

今は平和な教会となっています。

ビタパカ戦争墓地

そうして、日本軍のものではありませんが重要な戦跡としてビタパカ戦争墓地があります。

元々は、第一次世界大戦の勃発の際にドイツ軍の無線基地がおかれていた場所で、ここで豪州軍とドイツ軍の交戦があった(ビタパカの戦い)場所ですが、その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦を含めた戦死者の墓地となっています。

アメリカのアーリントン墓地のような、どこまでも続くかのような美しい緑の大地に、白く整然とした墓標が立ち並ぶ景色は、連合軍、日本軍、現地の住民を問わず、犠牲になった人々の魂を鎮めると共に、過去の歴史と尊厳を静かに伝えているようです。

日本人の墓がないから関係ない、という方もいらっしゃるかと思いますが、私はラバウルに行かれる際はぜひ訪れてほしいと思います。

ココポ博物館

ココポの戦跡で最も大きな見どころはココポ博物館でしょう。

この場所は戦闘があったわけでも多くの死者が出たわけでもありませんが、高射砲、ゼロ戦などの戦跡の他、船舶から引き揚げられた食器や麻雀牌など生活用品などの展示もあり、興味深いです。

個々の庭に展示されているゼロ戦の残骸、完璧なボディが残っている珍しいものですが、よく見ると、どこかで接合されているようです。調べてみますと、異なる場所で見つかった2機のゼロ戦の残骸を上手くつなぎ合わせて一機のように展示されているそうで、コクピット部から翼までは空母への搭載を前提として本格的に量産された21型(A6M2)なのに対し、機体と後部は実用化後初の大規模改修が施された性能向上型である32型(A6M3)であることが分かっています。

これは現地ガイドも知らないことが多いのですが、もし訪れられた際は、接合部を気にしてみてください。

大発洞窟

最後に、ビジュアルでは最も有名かもしれない大発洞窟です。

大型発動機艇という、上陸廷を隠していたトンネルで、崖の下に7隻格納されたまま、戦後80年が過ぎました。

現地では、上陸廷のトンネル=バージトンネル、あるいは場所の名前からカラビアと呼ばれています。

もっとも手前の大発は風化が進んでおり、奥に行けば行くほど状態は良いのですが、明かりが届かないので通常観ることができるのは、前から2艘です。それでも、世界で大発がこれほどの状態で保存されているのはないそうですので、貴重な戦跡と言えるでしょう。

ココポ周辺の戦跡はコンパクトにまとまっていますので、駆け足で見れば半日で回ることができますが、博物館などをじっくり見学したいのであれば終日ツアーもありです。ホテルが近いので朝に回り、一旦ホテルに帰って昼食を食べた後に午後の部、という感じですね。

また、午前中にラバウルの戦跡を回り、午後にココポ、という終日ツアーも可能です。

次回は海軍の基地があったラバウルの戦跡をご紹介いたします。

担当:上岡

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